
―ブリュワー兄弟監督は、本作が初めての長編監督作品となりますが、監督とお仕事された印象はいかがでしたか?
2人に初めて会った当時は、『ラスト・リベンジ』でポール・シュレイダーと組んだり、『バッド・ルーテナント』でヴェルナー・ヘルツォークと組んだりするなど大御所との仕事が続いていたので、そろそろ若い駆け出しの監督と組んでみたいと思っていたところだったんだ。ビジョンを持った情熱的な若手監督なら、私を違うふうに料理してくれたり、再発見してくれたりするのではないかと期待していた。
そもそもこの作品は脚本がよくできていて、キャラクター描写もしっかりしているし、セリフもよくて、光るものを感じたよ。だから、読んですぐ出演したいと思ったんだ。実際に会ってみると、映画のことをよくわかっているし、情熱的だったし、方向性がとても明確だったので感心したよ。
―憧れのジェリー・ルイスとの共演はいかがでしたか? ジェリー・ルイスへはご自身から出演を依頼したと聞いています。共演もすごく緊張したと語っていましたが、実際にはいかがでしたか?
実は、私もジェリーもラスベガス在住で近所なんだ。ずっと前から食事をしたいと思っていたのだけど、それが何度か叶った。ただ、その前にも会ったことがあって、昔、ジェリーがサミー・デイヴィス・Jrと一緒にラスベガスでショーをやっていて、親切にもチケットをくれたんだ。それを兄と見に行った。すばらしいショーで、そのあとにジェリーが自分の泊まっているホテルへ呼んでくれた。会った時に、僕は「あなたは僕のヒーローです。ヒーローと呼ばれるのは、あなたとマーロン・ブランドくらいです」と言った。そう聞いたジェリーは、いかにもジェリーらしく少し間をおいて、「まあ、ブランドも悪くないけど」と返してきた(笑)。ジェリーはなんと日本の浴衣と靴下といういでたちで、あのときのことは忘れられないよ。
その後に、僕もラスベガスへ引っ越したのだけど、先ほど言ったみたいに数回、食事を一緒にできた。そんないきさつもあって、今回の企画が舞い込んできたときに、「この役で出演してくださいませんか?」とジェリーに直接、聞いてみたんだ。面と向かって聞くのは相手を追い込むことになりかねないので、めったにしないことなのだけど、どうしても彼と共演しているところを映画という形で永遠にしたかった。ジェリーは快諾してくれて「やったー」と思ったよ。
映画ではいい芝居をしてくれているので、出演シーンがもう少しあればよかったのにと思う。ジェリーはコメディだけでなくドラマでもすばらしい腕を見せてくれる。スコセッシの『キング・オブ・コメディ』を見てもわかる。自分にとってはあこがれのヒーローだし、自分が俳優を目指したのもジェリーにあこがれてのことだったから共演は緊張したよ。でも、また共演してみたいと思う。
―今回は、だんだん悪へと変貌していくさまがミステリアスですが、普段から演技を行う際に特に気を付けていることはありますか?
まず、セリフの覚え込みを2カ月前から始めることだね。セリフを体に叩き込んでおけば、現場で余計なことを考えずに済むから。僕はセリフに縛り付けられるのは嫌で、むしろセリフに解放されたいと思っている。セリフが体に入っていれば、必要があればアドリブをしたり、脚本から逸れたりすることもできる。撮影中はシーン全体に意識を集中させなければならない。セリフの言葉に気を取られているようでは、この言葉の根底にある思いや思考から意識が逸れてしまう。
―集中力を維持するのは大変でしょうね。熟練の経験が必要なのでは?
そうだね。現場では失礼のないように気を付けるようにしているけど、どうしても気が散るものなんだ。だから「今は集中したい」という空気感を醸し出すことが大事。失礼な言い方をする必要はないけど、伝えなきゃ分からない人もいるからね。僕はそこまで器用じゃないから、やたら明るく振る舞って場を盛り上げ、すぐさま気持ちを切り替えて芝居に入るということができない。セリフの少ない日なら余裕はあるけどね。
―日本のファンへメッセージをお願いします
長年、サポートしてくれて本当にありがとう。日本のみなさんが大好きだし、また日本に行きたいと思っているよ。日本は美しい国だと思うし、多くの名作を生み出している国だ。いつか日本で映画を撮りたいよ。
ニコラス・ケイジ
1982年に『初体験/リッジモント・ハイ』でデビューし、85年『バーディ』でアラン・パーカー、87年『ペギー・スーの結婚』でフランシス・フォード・コッポラ、88年『赤ちゃん泥棒』ではコーエン兄弟、91年『ワイルド・アット・ハート』でデヴィッド・リンチと名だたる監督作品に出演し、実力と人気を積み上げていく。96年『リービング・ラスベガス』に出演し、アカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞主演男優賞を獲得。近年では、アクションコメディ『キック・アス』やアニメ作品に声優として参加するなど演技の幅を広げている。2004年には『SONNY/ソニー』で監督デビューも果たしている。