「沈黙と眼差しの交換を通して、人と人との絆が育つ様を描きたかった」/『アスファルト』サミュエル・ベンシェトリ監督オフィシャル・インタビュー

第68回カンヌ国際映画祭特別招待作品として上映され、高い評価を受けた『アスファルト』が9月3日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国にて公開する。車いす生活を送る中年男と、物憂げな美人看護師。「母親は死んだ」とうそぶく鍵っ子のティーンエイジャーと、全盛期を過ぎた女優。突然不時着したNASAのアメリカ人宇宙飛行士と、彼を迎え入れるアルジェリア系移民の女性―。フランス郊外の寂れた団地を舞台に、3組6人の絆が育っていくさまが視覚的に描きだされ、静かな感動を呼び起こす本作のサミュエル・ベンシェトリ監督からオフィシャル・インタビューが届いた。

―映画『アスファルト』が生まれたきっかけは何ですか?

この作品は、私が2005年に書いた、おんぼろ団地が舞台の『Asphalt Chronicles(英題)』の中の2つの短編に、その団地に引っ越してきたばかりの女優の話を加えたものだ。『アスファルト』で、私は、この手の題材を描く時に普通はお目にかからないような登場人物たちを通して、ある種、風変わりなストーリーを作りたいと思っていた。一言で言うならば「落ちてくる」3つの物語、と言えるだろう。空から、車椅子から、栄光の座から人はどんな風に“落ち”、どのように再び上がっていくのか。『アスファルト』製作中、この疑問がいつも頭にあった。なぜなら団地に住む人々は皆、“上る”ことに関してはエキスパートだから。子供時代を団地で過ごした私にとって、そこでの生活で感じていたあれほどまでに強い団結力に、ほかでは出会ったことがない。たとえ月日がたち、至る所に孤独と孤立が少しずつ広がって行こうともね。

―実際、いつ頃からこの作品は形になっていったのですか?

脚本は4年前、『J’ai toujours reve d’ etre un gangster(原題)』を撮影した直後に書いた。だが『Chez Ginzo(原題)』を監督することがすでに決まっていたので、この作品の資金集めはすぐに始めることができなかった。だから、資金集めにとりかかることができたのは『Chez Ginzo(原題)』を撮り終ってからだった。最初に出会った2人のプロデューサーは、私の名前だけで500万ユーロ集められると言ってくれたが、私は無茶だろうと彼らに言い続けていて、実際その通りになった。

それで結局、『Un voyage(原題)』という別の作品を自費で製作した。このある意味つらい、ある意味救いとなった経験の直後、私は幸運にも新たに3人のプロデューサー、ジュリアン・マドン、マリー・サヴァレ、イヴァン・タイエブに出会った。『アスファルト』は、スタートの段階からこの企画を信じ、何か問題が起こった時もいつも正しい方向へ導いてくれたこの3人の力に負うところが大きい。

―『アスファルト』を製作するにあたり、最初に頭に思い浮かんだ俳優は誰でしたか?

ヴァレリア・ブルーニ・テデスキとマイケル・ピットの2人は、ごく初期の段階からずっと考えていた。ヴァレリアとは長い間、一緒に仕事がしたいと思ってきたしね。彼女は私を深く感動させてくれる女性だ。彼女が出演した作品を観る時、いつも彼女が早く出てこないかと待っている自分がいる。彼女が登場すれば間違いなく何かが起こると分かっているからね。だから、私は、ヴァレリアが『アスファルト』で登場するたびに間違いなくこの作品に息吹を吹き込んでくれると確信していた。たとえ彼女の演じる看護師のシーンが数シーンしかないとしても。彼女の美しさ、熱さ、苦悩を見るたび、同じ空間にいられることにいつも幸運を感じていた。

―マイケル・ピットを団地の屋上に落ちてくる宇宙飛行士役に選んだ理由は?

20160902-01_sub02マイケルはとても素晴らしい俳優だ。現場で彼は常に新しいアイデアを模索し提案してきてくれる。彼は仕事中毒の俳優で、彼が演じると役に信じられないほどの力強い存在感が加わる。この宇宙飛行士役に、彼以上の役者は考えられなかった。そして切り札になったのが『J’ai toujours reve d’ etre un gangster(原題)』がサンダンス映画祭で賞を獲ったという実績。これが私にとって新たな扉を開くきっかけとなった。3人の俳優に脚本を送ったところ、最初にイエスと返事をくれたのがマイケルだったんだ。
―イザベル・ユペールがあなたにイエスと言ったように?

その通り。イザベルと仕事をすることは私の長年の夢だった。彼女がイエスと言ってくれたことが、この冒険のターニングポイントだった。初めて言葉を交わしてから今日まで、彼女と共に過ごした日々は本当に素晴らしいものだった。イザベルは、自分のしたいことをはっきりと分かっており、それを実現させるため全力で仕事にあたるというプロ中のプロだ。監督の視点から見ると、彼女と一緒だと洗練された仕事ができる。自分自身と距離を持つことができ、どのテイクもそれ以上ないものにしてしまうし、どの台詞も尊いものにできる人だ。さらに、現場では、彼女と私の息子ジュールとの間に本当に特別な絆が生まれていた。2人とも相手にとても好感を持っていた。

―息子さんのジュールをイザベルの若い隣人役にすることはすぐに思いついたのですか?

いや、製作の初期段階からプロデューサーが皆、ジュールを起用しようと言っていたのだが、私にしてみたらありえない話だった。だから、少なくない数のほかのティーンの役者に会ってみたのだが、プロデューサーがどうしてもジュールで、と言うので、とうとう折れてスクリーンテストをしてみたんだ。その時に、彼らが正しかったと認めざるを得なかった。客観的に見て、ジュールは最初から、自分の役柄を、ほかのどの役者より理解しており、誰よりもあの役に相応しいと言わざるを得なかった。それで少しも躊躇することなく息子を起用した。だからと言って、まったく心配していない、というわけではなかった。実際、彼は最初のシーンで、イザベルの前で下着姿でエレベーターを蹴らなければならなかったからね(笑)。

20160902-01_sub04実生活でのジュールは、とても控えめな子なんだが、スクリーンで演じるのは、暴力的で無遠慮な青年だ。でもこの役には彼の実生活を反映しているところもあった。特に不在の母親との関係はね。撮影中、私は時々、ジュールにそんな状況を演じさせるなんてどうかしてるのではないか、と自問自答していたが、それは間違いだった。現場を支配していた気品のようなものが、我々の間に漂う口に出せない不安もすべて受け入れてくれていたからだ。ジュールは、イザベルから多くのことを学んだと思う。すべてのシーンに対し、現場の喧騒を介すことなく、自分自身の世界を作り上げる。ジュールも同じ方法をとった。生まれた時からよく知っているスタッフが周囲にいても、彼の気が散るということは決してなかった。実際、ジュールとイザベルのシーンは撮り直しがほとんどなかった。最初のテイクから、私の望む画がここにあったからだ。

―この作品には、ユーモアと詩的世界が混ざり合うカウリスマキ監督のような雰囲気を少し感じます。

そうだね。でも私はカウリスマキ監督のことをそんなによくは知らないんだ。もし雰囲気が似ているのだとしたら、それは、私の作品に浮世離れしたところがあるからだろう。私は実際に廃墟となっている団地で撮影がしたかった。実際に人が生活している団地で撮影するのは不可能だと分かっていたからね。そして、アルザス地方で、あの建物を見つけたんだ。アルザスはこの作品の資金援助にも参加してくれた。似た建物はマルセイユにもあったのだが、もしマルセイユで撮影していたら、この作品はロベール・ゲディギャン監督が作るような、まったく雰囲気の違う作品になっていただろうね。つまり、『アスファルト』で、私が特に参考にしたものはなかったということだ。彩度を落としたスクリーンのような真っ白なところからアイデアが湧き出たようなものだ。

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―『アスファルト』は、明確な時代設定がないようですが、なぜそうしたのですか?

作品の中で起こる出来事は、『Asphalt Chronicles(英題)』を書いた頃のことで、今でも1980年代にでも起こりうる。時代遅れのグルンディッヒ製のテレビや、『ダイ・ハード』のポスター、そして黄色いウォークマンなどが現代の映画のDVDなどと一緒に画面に登場する。これは私がわざとそうすることを選んだ。私が育った1980年代の団地に今戻ってみても、そんなに大きな違いを感じないし、あの建物はどの時代の特徴も持っているから。『アスファルト』に80年代的な雰囲気があるのは、必然的なことだ。

―見始めてすぐ、この『アスファルト』は、台詞も少なく、沈黙の余白を残している点であなたのこれまでの作品とは違うように感じました。

その通り。これまでの私の作品の中では一番、台詞は少ない。私はこの作品で、沈黙と眼差しの交換を通して、人と人との絆が育っていく様を視覚的に描きたかった。登場人物は皆、真に孤独であり、それぞれの事情から他人に話しかける理由を持たない人々だ。スタンコヴィッチは母親を亡くしたから、マダム・ハミダは息子が服役したから。そして母親がずっと不在のシャルリ。彼らがそれぞれ出会う、道に迷っている人々も同様だ。明らかに悩みを抱えている看護師、数週間世界と離れていた宇宙飛行士、そして落ちぶれた女優。それからこの作品ではカメラが物語を伝える役割を果たしている。さまざまな状況をさまざまな奥行きで見せることで控えめで皮肉の利いた非現実感を作り出してくれている。『アスファルト』では、テンポの早い会話の応酬は最小限におさえている。長回しのワンテイクの中に沈黙が満ちている。またおそらくだが、自分の経験上、私は自分の言いたいことをできるだけ言葉を使わずに伝えることは可能だと思っている。

20160902-01_sub05サミュエル・ベンシェトリ
1973年、フランス、シャンビニー=シュル=マルヌ生まれ。

パリ郊外の団地で育つ。父親はモロッコ系ユダヤ人で鍵職人、母親は美容師。15歳の時に学校を辞め、芸術の世界で身を立てることを決意。写真家のアシスタントとなる。その後、もぎりの仕事をしていたパリの映画館にて知り合った映画会社のプレス担当者に短編映画のシナリオを見せたところ、それが女優マリー・トランティニャンの目にとまり、脚本を書くことをすすめられる。21歳の頃より短編映画の監督・脚本を手掛けながら、戯曲の執筆・演出また舞台俳優としてもキャリアをスタート。2003年の『歌え!ジョニス★ジョプリンのように』で長編監督デビュー。1997年に結婚したマリー・トランティニャンの最後の夫であり、彼女との間にもうけた息子ジュール・ベンシェトリが本作に出演している。

(C) Jean-Baptiste Mondino

ABOUT
フランス、郊外のとある団地。車椅子生活を送るハメになったサエない中年男と訳アリ気な夜勤の看護師。鍵っ子のティーンエイジャーと落ちぶれた女優。不時着したNASAの宇宙飛行士とアルジェリア系移民の女性。寂れた団地を舞台に、孤独を抱えた6人の男女に予期せぬ出逢いが訪れる―。
配給:ミモザフィルムズ
公開日:9月3日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ(モーニングショー)、シネ・リーブル池袋ほか全国順次ロードショー
2015 La Camera Deluxe - Maje Productions - Single Man Productions - Jack Stern Productions - Emotions Films UK - Movie Pictures - Film Factory